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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)2586号 判決 1969年4月14日

原告

渡辺林三

渡辺一枝

代理人

坂本建之助

ほか二名

被告

関東バス株式会社

被告

丸善衣料株式会社

右両名代理人

山下豊二

ほか四名

主文

一、(一) 被告らは連帯して

原告渡辺林三に対し金一三八九万円およびうち金六五万九七九八円に対する昭和四一年四月八日から、うち金一一九三万〇二〇二円に対する同四二年二月一八日から

(二) 原告渡辺一枝に対し、金二五一万円およびうち金二〇二万円に対する同四一年四月八日から、うち金二六万円に対する同四二年二月一八日から各完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの負担として、その余を原告らの負担とする。

四、この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、かりに執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一、原告ら

(一)  被告らは連帯して

1 原告渡辺林三(以下林三という。)に対し二六七三万九六五八円およびうち六五万九七九八円に対する昭和四一年四月八日から、うち一七五七万九九九三円に対する同四二年二月一八日からうち五九七万八〇八〇円に対する同年八月一九日から

2 原告渡辺一枝(以上一枝という。)に対し三一三万六二四五円およびうち二〇二円に対する昭和四一年四月八日から、うち八三万一一三二円に対する同四二年二月一八日から

各完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決および仮執行の宣言を求める。

二、被告ら

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二  請求原因

一、(事故の発生)

昭和三八年五月二二日午前一一時三〇分頃、東京都中野区上高田一丁目一番地先の変形交差点において、林三の乗車していた大型乗用自動車(練二い一八九七号、以下甲車という。と普通乗用車(以下乙車という。)とが衝突し、そのため林三は頸椎骨骨折兼上肢神経圧迫障害等の重傷を負つた。

二、(被告らの地位)

被告関東バス株式会社(以下被告関東バスという。)は甲車を、被告丸善衣料株式会社(以下被告丸善という。)は乙車を、それぞれ所有し自己のために運行の用に供する者であつた(原告らと被告らとの間に締結された中間契約に基づく請求はしない)。

三、(林三の病状)

林三は本件事故による前記傷害のために、事故後直ちに社会福祉法人慈生会病院に護送され、その後約七七日間絶対安静の入院加療を受け、右危機を脱した後も、同病院その他三―四の病院において頸椎部索引療法、温泉療法、移植手術(膓骨骨片を頸椎部に移植するもの)、マッサージ等の治療を受けたが現在においても頭痛、目まい、耳鳴りがし、頸椎部、胸椎部等に痛みが残存し、左腕、左大腿部のつけ根にはけいれんが残存し、視神経障害による視力減退、一日の排尿回数三五―三六回、便通三―四回、性交不能、起居は付添人の助けを借りて僅かに行いうるという状態であつて、現在葛南病院に入院中である。そして今後少なくとも昭和四四年一一月末日までは入院加療を要するとともに、生涯に亘つて完全治癒の見込みがなく、退院後も半身不随の後遺症の存在および一生に亘る付添人の必要が予想される状態である。従つて林三の本件事故による傷害が昭和三九年に完全に回復したなどということはないのである。林三は一枝と二人きりで旅館に外泊したことはあるが、それは担当医師から環境と気分の転換をはかるように指示があり、治療効果をあげるために行われたものである。

四、(損害)

(一)  林三の損害

1 入院治療関係費六三三万七八七八円

(イ) 一九万六五三八円

昭和四〇年一一月初旬から同年一一月末までのもの

(ロ) 一六万三二六〇円

昭和四一年一月一日から同年二月二六日までのもの

(ハ) 二二二万三二四二円

昭和四一年三月一日から同四二年五月末日までのもの

(ニ) 三七五万四八三八円

昭和四二年六月一日から同四四年一一月末日までのもの

この間の一か月間の入院治療費は昭和四一年三月分から同四二年五月分までの入院治療関係費の平均月額一四万八二一六円程度と推定される。従つて右金額を基礎にして同年六月一日を基準時としてその現価をホフマン式「複式・年別)計算法により年五分の中間利息を控除して算出すると三七五万四八三八円となる。

以上合計六三三万七八七八円

2 林三の得べかりし利益

林三は本件事故の前年である昭和三七年一一月から海苔卸販売を本業とし、使用人二人を雇傭し、同三八年一月から同年四月までの一ケ月平均一二万円の所得があつた。そしてこの営業成績は向上することはあつても下がることはなかつた筈であり、林三は本件事故のため一生に亘つて就労能力を喪失し、毎月少なくとも一〇万円の得べかりし利益を失つたということができる。

(イ) 昭和三八年六月一日から同四二年一月末日までの既経過の三年八か月分の損害

四四〇万円

(ロ) 昭和四二年二月一日から二〇年間の損害額を、右起算日を基準時としてホフマン式(複式・年別)計算法により年五分の中間利息を控除してその現価を求めると一六三三万九二〇〇円となり、同額の損害を蒙つたことになる。

右(イ)、(ロ)を合計すると二〇七三万九二〇〇円となるところ、うち一七八七万九九九三円を請求する。

3 被告らが弁済した三〇〇万円の受領と充当

林三は昭和四〇年一一月までに三〇〇万円を被告らから受領したのでこれを林三の右逸失利益の損害に充当する。そうすると林三の逸失利益は一四八七万九九九三円となる。

4 慰謝料  三〇〇万円

ただし、林三の慰謝料以外の請求について、その一部が認容されないときは、予備的にその認容されない限度までこの慰謝料請求額を増額する。

(ニ) 一枝の損害

1 一枝の失つた得べかりし利益

一枝は昭和二二年三月みずほ洋裁学院を卒業し、昭和二八年三月まで同学院の助教師、教師を、同年四月から九月までは音羽洋裁学院の教師を勤め、その後は洋裁の個人教授と注文服の仕立業を営んで月収は五万円を下らなかつた。ところが本件事故のため一枝は林三の付添に専念することとなり、林三が入院中の期間は他の仕事も出来ないことになつた。一枝は昭和三九年三月一七日から同年八月までの一六〇日間を除き、同四二年二月一七日までに一二二三日以上を付き添つてきた。一枝の付添により失う収入は少なくとも一日一〇〇〇円程度あるから林三が退院するまでの逸失利益は次のとおりとなる。

(イ) 昭和四二年二月一七日までの逸失利益

一二二万三〇〇〇円

1000円×1223=122万3000円

(ロ) 昭和四二年二月一八日から同四四年一一月末日までの逸失利益は、ホフマン式(複式・年別)計算法により年五分の中間利息を控除すると九二万八一三二円となる。

右(イ)、(ロ)を合計すると二一五万一一三二円となる。

2 被告らが弁済した三〇万円の受領と充当

被告らは右金額を逸失利益として賠償すべきであるが、一枝は被告らから三〇万円を受領したので、これを控除すると、残額は一八五万一一三二円となる。

かりに右主張が認められない場合には、付添料相当額の損害として賠償を求める。

3 慰謝料 一〇〇万円

本件事故により一枝は平和な家庭を奪われたうえ、廃人となつた林三の看護のため昼夜を分たず付添生活をおくつてきたのであるが、今後も一生看護生活を続けなければならないであろう。これを慰謝すべき相当額である。

(三)  弁護士費用

被告らは一部の賠償額の支払いをなしたが、その後原告らの請求に応じないので原告らは原告ら訴訟代理人に対し、本訴の提起と追行とを委任し、林三において手数料内金として一〇万円を支払い、その他に原告らとしての手数料および謝金として請求額の一割相当額を、第一審判決言渡日に支払うことを約したので、林三としては二五二万一七八七円、一枝としては二八万五一一三円の各債務を負担したことになる。

五、(結論)

よつて被告らに対し自賠法三条により、

(一)  林三は第四項(一)、(三)の合計二六七三万九六八五円およびうち六五万九七九八円に対する本件訴状送達の翌日である昭和四一年四月八日から、うち一七五七万九九九三円に対する同四二年二月一七日付訴変更申立書をもつて請求した日の翌日である同月一八日から、うち五九七万八〇八〇円に対する同年八月一八日付準備書面を相手方に交付した日の翌日である同月一九日から

(二)  一枝は第四項(二)、(三)の合計三一三万六二四五円およびうち二〇二万円に対する前記昭和四一年四月八日から、うち八三万一一三二円に対する前記同四二年二月一八日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三  請求原因に対する被告らの認否

一、請求原因第一項記載の事実中、原告ら主張の日時、場所において甲車と乙車とが衝突したことは認め、林三の傷害の部位程度は不知。

二、請求原因第二項記載の事実は認める。

三、同第三項記載の事実は否認する。林三がかりに原告ら主張の如き傷害を負つたとしても、右傷害と林三の昭和三九年以後の病状とは因果関係がない。

(一)  林三は本件事故以前から永年に亘り、胃潰瘍、胆のう炎、膵臓炎をわずらつていた。すなわち昭和二三年および二七年に二度に亘つて胃潰瘍の手術を受け、同三五年六月頃から、上腹部および右季肋部に痛みを訴え、胃潰瘍および胆のう炎と診断を受け、同年七月一一日から同年九月二〇日まで入院治療を受け、全快せぬまま退院した。同三六年九月にも上腹痛、食欲不振のため診察を受け、胃切除胎後症、慢性胆のう炎、慢性膵臓炎とされ同三八年五月二日まで約五九回通院治療を受けた。

(二)  林三は遅くとも昭和三九年夏頃までに本件事故による傷害から殆んど完全に回復していた。昭和三九年三月頃には既にギプスをはずしていた。同年五月頃には、病院の廊下、階段等を一人で自由に歩いていた。同月七日頃には担当医師から外出を許可され、同年九月頃までの間数一〇回に亘つて、妻の一枝とともに付近の旅館に外泊し、外泊中飲酒さえしていた。同三九年初夏頃からはラジオ体操も始めていた。そしてその後病状が再度悪化したとき、見舞に見つた被告関東バスの訴外磯谷三郎に対し「医師のすすんでやつていたラジオ体操の際中に首の骨がカツンといつて、それからまたギプスを始めなければならなくなつた。医者がけしからん。」と述べていた。また同人は患者代表として待遇改善運動を行つたり、塩原病院から東京に帰るため身体を慣らすとかでタクシーを乗りまわしていた程であつた。

(三)  昭和三九年以後の病状は、前記の不節制のほか、同人の持病である胃潰瘍等、内臓疾患に基づくものである。胃潰瘍の再発が急速し進行したためその合併症である脊髄症状が再燃したのである。

四、同第四項中

(一)  1は否認する。

なお被告は林三に対し原告らの自陳する三三〇万円のほかに、次のとおり弁済しているので、ここに事情として主張する。

(1) 診療費 二九四万三五八〇円

(2) 院外診療費  一五万八〇三二円

(3) 院外クスリ代 一六万一五五一円

(4) 見舞品代   五万七〇七五円

(5) 車代     一六万九八二〇円

(6) 宿泊代    九万六一〇四円

(7) 乗車券代   三万三三五〇円

(8) 雑費     一八万一〇四五円

2は否認する。すなわち、林三は昭和三三年二月一二日三九才のとき現在の住所に転入したが、その後現在に至るまで一度も所得税の申告手続をしたことがない。都民税、区民税についても同様である。昭和三五年以来現在まで中野区は林三に対し「入院加療中非課税」の措置をとつており、林三はこの間均等割税率による税額すら地方税を納入していなかつた。林三は使用人として須貝禄郎ただ一人を雇傭していたが、その須貝は林三の営業不振のために給料らしいものをもらつたことはなかつた。

以上の次第であつて林三が月一〇万円もの収入を得ていたはずがない。

3 被告らが三〇〇万円を支払つたことは認める。

4 否認する。

(二)1  一枝は無収入、無所得の単なるにすぎない。

被告らが三〇万円を支払つたことは認める。

2  否認する。

(三)  不知

第四、拠証関係<略>

理由

一事故の発生

請求原因第一項の事実中、原告ら主張の日時、場所において甲車と乙車とが衝突したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右衝突のため甲車に乗車した林三は、頸椎骨骨折(頸髄損傷)兼上肢神経圧迫障害等の傷害を負つたことが認められる。

二被告らの責任

同第二項の事実は当事者間に争いがないので、被告らはいずれも自賠法三条により原告らの蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

三林三の病状

(一)  本件事故発生前の林三の病状

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

林三は昭和二三年および同二七年に二度に亘つて胃潰瘍のため胃の一部切除の手術を受けたことがあり、同三五年六月上旬腹痛を覚え、同月六日済生会神奈川県病院において診察を受けたところ「胃潰瘍および胆のう炎」との診断を受けた。当初は同病院に通院していたが病状が軽快しなかつたので、同年七月一一日同病院に入院し、散薬の投与を受けるとともにユモール・ブドウ糖の静脈注射を同年八月二日まで受けた。そしてその頃から腹痛も軽快していつた。同年九月には時折上腹痛を覚えたが、林三の希望により九月二〇日一応退院した。しかし翌三六年八月頃から上腹痛、食思不振を覚え、同年九月一五日社会保険中央総合病院で診察を受け、「胃切除後遺症、慢性胆のう炎、慢性膵臓炎」と診断された。そして同三八年五月二日までの間に同病院に五九回通院し、病状の方は、上腹痛が同三六年一〇月上旬頃から、食思不振が同月下旬頃から軽快し、その後増悪、軽快を繰り返していたが、同三八年一月中旬以後臨床症状は軽快し、経過は一応良好であつた。

(二)  本件事故発生後の林三の病状

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

林三は本件事故により前示傷害を受け、中野の茲生会病院に入院し、事故から約二〇日後には、頭痛、頸部・肩部の疼痛と左上肢神経障害症状を訴え絶対安静を要する状態であつた。そして昭和三八年一一月一一日国立塩原温泉病院に入院し、同病院では「頸椎損傷、左肩関節部脱臼」と診断されている。同月二二日慶応義塾大学病院に入院して膓骨骨片を頸椎部に移植する手術を受け、術後七週間はギプスベッドで頸部を絆創膏で固定し上を向いたままの姿勢で過した。そして翌三九年三月一六日、術後の運動機能回復訓練を受けるため塩原病院に再入院した。ここではマッサージ、入浴、泥療法、電気療法等による治療を受け、壁伝いに歩いて入浴できる状態にまで回復していた。またラジオ体操なども行い、同年五月一八頃には気分転換のため妻の一枝とともに外泊することを許可されたこともあつた。しかし病状はその後また悪化してきた。(この原因について被告らは林三のラジオ体操中の出来事や同人の療養中の不節制によるものであると主張し、証人磯谷三郎の証言中には、「ラジオ体操をしていて首がピリッとした」と林三本人が述べていた旨の部分があるけれども、その後の林三の病状がひとえにこのことによるものであるとにわかに断ずることはできず、他に同人の不節制を認めるに足る証拠はない。むしろ証人岡田衛生の証言によれば、この種傷害の治療経過には波があることが認められ、一時的な回復状態にあつたことから、ただちに当時林三の病状が完治していたものとの心証を得ることはできない。)

当時の病状は左半身殊に上下肢の麻痺感、左肩上肢、腰部、頸部痛、左手指巧緻運動障害があり、一日に排尿は三〇回程度で、排便は二―三回であつた。同年九月七日腹痛があり、同月九日タール便が出て胃術後の消化性潰瘍の疑いが生じ、同病院には内科の専門医がいなかつたため、同三九年九月一八日大田原赤十字病院に転院した。ここでの診断結果は「頸髄損傷、胃術後消化性潰瘍、尿路障害」であつて、初めのうちは内科の治療のみに専念し、その内科的症状がある程度落着いた転院一か月余り後に整形外科的治療を受けたが、当時は、歩行不能の状態であつた。そして約一年間の理学療法によつて、特別に作製された頸椎用コルセットを着用することにより漸く起立することが可能になつた。

同四〇年一〇月二三日厚生年金湯河原温泉病院に転院しその後二―三の病院を経て葛南病院に入院し、現在に至つている。

同病院に入院中の昭和四一年七月一〇日当時も、「頸髄損傷」との診断を受けており、同年一一月当時は、いわゆる麻痺というような著明なものはなかつたが、起居不能で日常の生活ができるまで回復することはまず不可能と担当の松田医師は診断している。当時の予想としては、かりに病状が固定した場合でも、肉体的労働は勿論のこと普通の肉体を使わない仕事もおそらく無理であろうという程度であり、将来多少痛みが止まつて良くなつた場合でも労災等級の二級に相当するものであると同医師は見ている。

同四三年一月一三日には「頸髄損傷、頭部外傷、直腸・膀胱障害」との診断名の下に、受傷後全身状態不良で起居は全く不能であり、頸部から躯幹、上下肢に亘り知覚異常および麻痺もしくは運動機能の極端な制限ならびに頸部から左上肢胸腹、左上肢に激烈な疼痛を訴えており、なお長期間加療を要し、症状の改善は困難であるとの診断を受けており、現在も一日排尿三五―三六回、排便三―四回であり、身体の痛みも事故当時とあまり変わらず、痛みの激しいときには「手や足をもぎ取つてくれ」と言つて苦しんでいる状態である。その痛みが襲つてくるのは一か月に二―三回である。そして同四四年一月二三日の診断によると「脊髄損傷および頸部外傷による体幹機能障害」で、今後なお三年間の加療を要する見込みとある。

以上を総合し、後遺症としては、起居不能の状態を脱しうるか否かは暫くおき、労働可能の状態にまで回復することは今後一生の間絶望的であると認めざるを得ない。

四損害

(一)  林三の損害

1  入院治療関係費

林三の病状は前第三節で認定したとおりであり、林三の頸髄損傷と本件事故との間に相当因果関係が存在することについてはこれを肯認しうる。また。、頻尿が右損傷の部分症状であることも、証人岡田衛生の証言によつてこれを認めうるところである。しかし同人の事故後の胃腸疾患と本件事故との間に相当因果関係があつたか否かについては、別にこれを論じなければならない。

証人(医師)岡田衛生は、いわゆる鞭打損傷による自律神経系の障害と消化器性潰瘍との関係は現代の医学では解明不十分である旨証言し、両者の因果関係を肯定するのをさしひかえている。証人(医師)松田嘉正は、林三が以前胃切除手術を受けたことと事故後の胃腸疾患との間には因果関係はない旨証言しているけれども、事故直前の昭和三八年五月上旬まで林三の胃腸疾患の治療にあたつていた担当医師東野俊夫は、当時林三の病状は著明に軽快していたが、この種疾患の通例として身体的・肉体的過重負担により病状の再燃を来すべき状況にあつたと報告している(乙第四九八号証の二)のであつて、林三の鞭打損傷による自律神経系の障害が直ちに事故後の林三の消化器性潰瘍の原因となつたことにつき十分に心証を惹く足りる証拠はなく、むしろ一旦軽快していた胃腸症状の再燃につき、本件事故が一つの条件を与えたに過ぎなかつたと認めるが相当である。従つて、事故後の林三の胃腸疾患が本件事故と相当因果関係にあると見ることはできないから、入院治療費中、林三の胃腸疾患にあてられたものはこれを控除しなければならない。

ところでその控除すべき額が問題となるのであるが、昭和四〇年一一月初旬以後林三の胃腸疾患にあてられた治療費が全治療費に占める割合は同人の病状その他諸般の事情を考慮すると、二割を起えることはなかつたのであろう推認されるので、全治療費中、少なくともその八割が、本件事故により林三が蒙つた傷害にあてられた治療費とみることができる。

(1) 昭和四〇年一一月初旬から同年一二月末日までのもの

<証拠>によれば、この期間の林三の入院治療費の合計額は二万六一五〇円であつたことが認められる。そしてその八割相当額は二万〇九二〇円となり、右金額が本件事故と相当因果関係にある入院治療費ということができる。

<証拠>によれば、林三は右治療費のほかに一七万〇三八八円の出捐をしたことが認められ、これらはいずれも本件事故と相当因果関係のある損害ということができる。そうするとこの期間における損害合計は一九万一三〇八円となる。

(2) 昭和四一年一月一日から同年二月二六日までのもの

<証拠>によれば、林三はこの間入院治療費として一四万三一五〇円の出捐をしたことが認められる。そしてその八割相当額は一一万四五二〇円となり、右金額が本件事故による入院治療費ということができる。

<証拠>によれば、林三は右入院治療費のほかに二万〇一一〇円の出捐をしたことが認められこれらはいずれも本件事故と相当因果関係にある損害ということができる。そうするとこの期間の損害合計は一三万四六三〇円となる。

(3) 昭和四一年三月一日から同四二年五月末日までのもの

(イ) 入院治療費

<証拠>によれば、林三はこの期間に入院治療費として一六〇万六六八九円の債務を負つたが、現在のところ病院の好意によりその一部を弁済するのみで残額支払いを猶予されていることが認められる。しかしこの未払残額は今後病院から請求される蓋然性あるものであり林三の蒙つた損害は一六〇万六六八九円であると見るのが相当である。そしてその八割相当額は一二八万五三五一円となり、右金額を本件事故による入院治療費ということができる。

(ロ) 入院雑費

<証拠>によれば、林三はいわゆる入院雑費として、昭和四二年二月に七九五二円、三月に一万〇五一一円、四月に一万〇七七〇円、五月に一万一三六五円の出捐をしたこと、頸髄を痛めた病人は、他の病人より栄養を摂取する必要があり、また林三は病院の食事を半分位しか食べることができないため補食を必要とする状態にあることが認められるが、右損害額の中には必ずしも本件事故との間に相当因果関係がないと思われるような品物(例えば餅、即席しるこ、甘納豆等)の購入費も包含されているので、その点も勘案しつつ、栄養費等も併せ考えた場合、林三の入院雑費としては、少なくとも月平均七五〇〇円が必要あでつたと認められる。そうするとこの期間(昭和四一年三月一日から同四二年五月末日まで)の入院雑費は一一万二五〇〇円と見るのが相当である。

(ハ) 交通費

<証拠>によれば、一枝は林三の付添看護のため必要な交通費として九三六〇円の出捐をしたことが認められ、これは林三の損害ということができる。

(ニ) コルセット代およびこれの調節用ドライバー代

<証拠>によれば、林三はコルセット代として二万四四四〇円の出捐をしたことが認められ、これらはいずれも本件事故による損害ということができる。

(ホ) 診断書料

<証拠>によれば、林三は診断書料として七〇〇円の出捐をしたことが認められ、これらは本件事故による損害ということができる。

(ヘ) 特診料

<証拠>によれば、林三は、吉倉医師、稀代医師、青木医師等に謝礼として合計二四万円の出捐をしたことが認められるが、林三の病状等に鑑みそのうち一〇万円が本件事故と相当因果関係にある損害とみるのが相当である。

そうするとこの期間における損害合計額は一五三万二三五一円となる。その余の部分についてはこれを認めるに足る証拠はない(なお前出甲第三七号証によれば、林三は昭和四一年四月葛南病院入院中、輸血者に対する礼金として一万二〇〇〇円の出捐をしたことが認められるが、これを本件事故による損害というためには、胃腸疾患以外の関係で輸血が必要とされたとの事情を要するところそのような事情は全証拠によるも明らかでないので、これを損害として認めることはできない)。

(4) 昭和四二年六月一日以後のもの

原告らは林三は少なくとも昭和四四年一一月末日までは入院治療を要すると主張しているのであるが、最近なされた(昭和四四年一月二三日)診断によれば、前認定のとおり林三は今後三年間程度の加療を余儀なくされる見通しであり、昭和四二年六月一日を基準時とすればその時から少なくとも四年間は入院治療を余儀なくされるであろうと考えられる。そしてその間の入院治療費等の損害は、前(3)の一五か月間の合計額を一五で除した月平均額にあたる一〇万円は少なくとも必要であろうと考えられる。そこで昭和四二年六月一日を基準時とし、右金額を基礎にして以後四年分の費用の現価をホフマン式(複式・年別)計算法により年五分の中間利息を控除して算出すると、四二七万円(一万円未満切捨)となる。従つて林三が昭和四二年六月一日以後蒙るであろう入院に必要な損害は四二七万円を下らないと考えられる。

2  林三の失つた得べかりし利益

<証拠>によれば、次の事実が認められる<証拠判断略。>

林三は大正七年九月一七日生まれの事故当時満四四才の男子で、昭和三六年四月二九日一枝と同棲生活に入り翌年五月七日正式に夫婦となつた。同年六月林三は訴外荻原貞から、東京都中野区上高田四丁目三八番一号所在の一一坪の木造平家建を月一万円の家賃で借り受け、同年頃から乾海苔の卸売業を営み始めた。この借家は、一〇坪程度の家屋がひしめく完全な住宅地帯の裏側で、いわゆる露地裏にあり、店舗を構えての営業をなすことができるような場所ではなかつた。しかし、海苔の卸売は必ずしも店舗を必要としないし、また、兄弟や親戚で海苔販売に携つている者からの援助も得られた。林三の営業が毎月どの位の収入を挙げていたかについては、帳簿類はないが、前記甲第一七二号証ないし一七五号証によれば毎月六万円から一〇万円の純益があつたこととなる。

しかし、林三は当時所得税、地方税の申告を全然していなかつたのであるし、訴外須貝禄郎が海苔の取引を実地で勉強して将来海苔業者になる目的で給料の取決めもしないで、昭和三七年頃から林三のもとで働くことになつたが、当時店員は同人一人であつた。ダットサン五九年型自動車が一台あつたが、既に一〇万粁以上を走行した車であつた。須貝に毎月給料らしいものは渡しておらず、ときどま五〇〇〇円とか一万円とかを渡す程度で平均すると一か月に一万円ないし一万五〇〇〇円に過ぎなかつた。本件事故直前も、須貝の見るところでは、林三の商売はまだ軌道に乗つておらず、同人の生活状態は普通かそれ以下であつた。

右のような諸事実を総合すると、林三は当時六万円以上もの純益を挙げていたとは到底認められないけれども他方ともかくも自家用車を持ち従業員らしい者もかかえていたと言えるのであるから、無収入ということはできない。よつて、前記諸証による額を控え目に見て、少なくとも月三万円の純益を挙げえたものと認める。これを超える額については心証を得られない。この額を基礎にして林三の逸失利益を算出するに、

(1) 昭和三八年六月一日から同四二年一月末日までのもの

3万×(3×12+8)=132円万円

この期間の損害は一三二万円となる。

(2) 昭和四二年二月一日以後のもの

林三は本件事故にあわなければ、同四二年二月一日から満六五歳に達する頃までの一六年間は少なくとも月平均三万円の収入を得続けたであろうと考えられる。

ところで林三が後遺症のため労働不能の状態に陥つたことは先に認定したところであるから、同人はこの一六年間を通じ労働能力を全部喪失したものと見るべきであり、その職業の性質上、稼働能力も一〇〇パーセント失われたと見てよい。

そこで右起算日を基準時としてホフマン式(複式・年別)計算法により年五分の中間利息を控除してその現価を求めると四一五万円(一万円未満切捨)となり同人は同額の損害を蒙つたことになる。そして(1)と(2)との合計額は五四七万円となる。

3  被告らが弁済した三〇〇万円の受領と充当

林三が被告らから三〇〇万円の弁済を受けたことは当事者間に争いがないのでこれを林三の右逸失利益の損害賠償請求権に充当すると残額は二四七万円となる。

4  慰謝料

林三が受領したことを自陳する三〇〇万円のほかに、被告らが既に三〇〇万余円の治療等を支払つていることは林三の明らかに争わないところであり、右のような事情と林三の前示病状等諸般の事情を考慮すると、林三の精神的苦痛に対する慰謝料としては、今後の分も含め、四〇〇万円が相当である。

(二)  一枝の損害

2 一枝の失つた得べかりし利益

<証拠>によれば、一枝は結婚後も洋裁の仕立物をして月に三―四万円の収入を得ていたこと、一枝は事故当日以来現在に至るまで完全看護であつた塩原温泉病院を除き(同病院に入院したのは昭和三八年一一月一一日から同月二二日までと、同三九年三月一六日から同年九月八日までであることは既に認定したとおりである。)、その余の病院では終始林三に付き添つてきたこと、そのため、付添期間中他の仕事に何ら従事することができなかつたこと等が認められる。

<証拠>によれば、昭和三七年度に一枝は税の申告をしていないけれども、前示の林三の低額所得を考えれば、同女の内職が生計維持の一助となつていたことは推認するに難くないので、不申告の一事を以て内職収入を否定することはできない。結局一枝が林三の付添いのために失つた得べかりし利益は、一日平均一〇〇〇円と見ることができる。

(1)  昭和三八年五月二二日(事故当日)から同四二年二月一七日までのもの

この期間の合計日数は前示塩原温泉病院入院中の期間を控除すると、一一六九日となる。

従つてこの期間に一枝が失つた収入は、一一六万円(一万円未満切捨)となり、これを超える部分についてはこれを認めるに足る証拠はない。

(2)  同四二年二月一八日から同四四年一一月末日までのもの

ホフマン式(複式・年別)計算法により、年五分の割合による中間利息を控除すると、その主張どおり計九二万八一三二円となるから、九二万円(一万円未満切捨)の損害が認められる。

そうすると、一枝の失つた得べかりし利益は、右(1)と(2)の合計額二〇八万円となる。

2 被告らが弁済した三〇万円の受領と充当

一枝が被告らから三〇万円の弁済を受けたことは当事者間に争いがないので、これを一枝の右逸失利益の損害賠償請求権に充当すると残額は一七八万円となる。

3 慰謝料

<証拠>によれば、同女は結婚後わずか二年余にして本件事故により平和な家庭を奪われ、前示の状態で林三の看護に献身的に付き添い、既に事故から五年余の間林三のために一身を捧げてきたことが認められるが、林三の前記認定の症状に徴し、今後とも同女の看病は必要であり、かりに林三が退院できたとしても現状とはそれほど変化はないであろうと考えられる。妻としての一枝の精神的苦痛は、いわば夫林三を失つたのにも比肩しうべきものであるから、同女には民法七一一条を類推適用して、固有の慰謝料を認めるのが相当である。その額は上掲諸般の事情を考慮し、五〇万円が相当である。

(三)  弁護士費用

以上により被告らに対し林三は一二五九万円(一万円未満切捨)、一枝は二二八万円の各損害賠償請求権を有するものというべきところ、弁論の全趣旨によれば被告らがこれを任意に弁済しないことおよび原告らが原告ら訴訟代理人らに対し本訴の提起と追行とを委任し、その主張どおりの債務を負担したことが認められる(林三が手数料の内金として支払つた一〇万円についてはこれを認めるに足る証拠はない)。そして本件事案の難易、前記請求認容額その他本件にあらわれた一切の事情を勘案すると、そのうち林三につき一三〇万円、一枝につき二三万円が被告らは賠償させるべき金額であると認める。

五結論

以上により、被告らに対する原告らの本訴請求中、林三については以上合計一三八九万円およびうち六五万九七九八円に対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四一年四月八日から、その余のうち弁護士費用を除いた一一九三万〇二〇二円に対する同四二年二月一七日付訴変更申立書をもつて請求した日の翌日である同月一八日から、一枝については以上合計二五一万円およびうち二〇二万円に対する前記同四一年四月八日から、その余のうち弁護士費用を除いた二六万円に対する前記同四二年二月一八日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分はいずれも理由があるからこれを認容し、その余についてはいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言については、同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。(倉田卓次 荒井真治 原田和徳)

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